1964年生まれ。社会医学技術学院作業療法学科卒業。みさと協立病院で作業療法士として勤務。新日本婦人の会で子どもの医療費無料化に取り組む。地域でボランティア活動に励む。家族は夫、子ども三人。 【幼少期~学生時代】 はじめまして、のずえ明美です。私は1964年、茨城県で生まれました。 父が日本道路公団の職員だったため、幼い頃から転勤の多い家庭で育ちました。 千葉、岩手、埼玉…各地を転々としましたが、そのおかげでたくさんの人に出会い、豊かな自然に触れることができました。 この経験が、私の心の財産になっています。 
高校生になり、将来を考えた時、経済的に自立できる仕事をしたいと思いました。 人と同じことをするのが嫌いな性格だったので、当時まだ資格を持つ人が少なかった「作業療法士」という道を選びました。 【作業療法士としてのキャリア】 作業療法士は、リハビリテーションの専門家です。患者さんが「その人らしい生活」を送れるように、料理や着替えなどの日常動作から、社会に参加するための活動までをサポートします。 
埼玉県のみさと協立病院で作業療法室を立ち上げました。そこには、社会の制度の狭間で困難な生活を送る患者さんがたくさんいらっしゃいました。 私は、そうした方々の人権を守り、無差別・平等の医療を届けることにやりがいを感じる一方で、医療制度そのものに課題があることを感じました。 【政治活動への転換、そして現在】 (写真: 政治活動の写真、子ども医療費助成の宣伝活動の写真) 結婚・出産を機に川崎市に移り住み24年。3人の子育てをしながら、長年「子ども医療費助成制度の拡充」をライフワークとして活動してきました。 医療従事者として、子どもの命と健康を守る子ども医療費助成制度の拡充は私の願いでした。 そしてつい最近20年以上の活動が実り、2026年からついに川崎も18歳まで子ども医療費無料とななりました。 私たち市民が声を上げ続けてきたことで、実現したのです。 東日本大震災で、子どものころ暮らしていた陸前高田市が変わり果てた姿になったことも、私にとって大きな転機でした。 南相馬市や陸前高田市での災害支援ボランティア、地元高津区内の放射能測定、脱原発運動にも取り組む中で、政治の役割を実感しました。 そして最近まで、横浜市にある保育所で働いていました。そこでは、仕事と子育てを必死に両立させようとする保護者の方々、そして賃金や配置基準など、多くの課題を抱えながらも奮闘する保育士の皆さんの姿を目の当たりにしました。保護者も、保育士も、誰もが安心して働き、笑顔で暮らせる社会が必要です。 私が政治を志した直接のきっかけは、家族に危機が訪れたことでした。 激務の夫を支えながら、ワンオペで子育てしつつ仕事との両立、さらに夫の両親の介護を、女性である私が一人で全ての責任を負うことになったのです。 このジェンダー不平等の社会を変えなければと心から思いました。 現在は、地域で子どもの登校見守り活動や保育施設の職員としての経験を活かし、誰もが安心して暮らせる社会を目指して活動しています。 
私は、地域の一人ひとりの声に耳を傾け、皆さんと一緒に「市民の暮らしに寄りそう政治」に変えたいと思います。 |